ペテカンより みなさまへ


当劇団所属 演出家 脚本家 俳優の本田誠人が 2021年1月30日早朝 自身の47歳の誕生日に宮崎県の自宅にて家族に見守られながら人生という舞台の幕を閉じました
故人の遺志と現在の社会情勢を鑑み 通夜 葬儀につきましては近親者のみで執り行われました
また 葬儀が終わるまでは公表しない様にとの これも故人の遺志により ご報告が本日となりました事 何卒ご容赦下さいませ
生前のご厚意を感謝しつつ 故人のご冥福をお祈りし ここに謹んでご報告申し上げます

2021年2月4日
劇団ペテカン

本田誠人のこと

 この度は奥様の泉ちゃん、子供たち、ご遺族の皆さま、心よりお悔やみ申し上げます。

 亡くなる5日前の1月25日に自身のブログで、すい臓がんであった事、余命を宣告された事を公表し、「一日一笑」を目標に掲げ新たな人生をスタートした矢先です。
 ブログを見て頂いた多くの方から、励ましやお見舞い、心配の声など沢山お寄せ頂いたと本田が嬉しそうに、恥ずかしそうに、申し訳なさそうに話していました。
 亡くなる2日前には僕と2人で、途中から奥さんの泉ちゃんと3人で3時間くらいテレビ電話で長電話をしてました。この先の近い将来の小さな夢を沢山語り合っていました。とっても元気で顔色も良く希望に満ちた表情でそんなにすぐに容体が悪化するなんて思ってもいませんでした。
ですので、この様なご報告をペテカンからしなければならないのは本当に残念で仕方がありません。

 2020年12月13日に上演そして全国に配信された舞台『あんてな文化祭』僕も出演させて頂きましたが、実は本番の前日まで本田は入院していました。本人の前では口には出しませんでしたが、もしかしたらこれが本田のラストステージになるかも知れないと僕の中では覚悟をして何としてもこの舞台に本田を立たせてやるんだという思いで必死に(勿論笑顔を絶やさない様に)彼のいない現場を守ろうと、泉ちゃんを中心に「あんてな」のみんなと力を合わせて稽古に臨んでました。コロナの影響でそこに他のペテカンメンバーを呼べなかったのは 今となっては悔やまれますが、僕1人でもペテカンの責任のもと本田を守るんだと意気込んで(勿論笑顔を忘れずに)いました。
 本番前日、つまり退院当日、劇場入りして仕込み及びリハーサルの日です。本田不在でのリハーサルを覚悟していた僕は、とにかく本田に楽屋で寝てなさいと、本番は明日なんだからこっちは任せて徐々に体をならせていく様にと言っていた(勿論笑顔で)のに、劇場に入るや否や人の心配もよそに、正に水を得た魚とはこう言うことだと言わんばかりに、喜びハシャギ、ボケ始めました。(勿論笑顔でツッコミました)
 本田は僕に言いました。
「すげーよ、ハマ。劇場って、パワースポットだよ!」と。
いつしか休んでる様にと言ってた僕の方が本田に
「まこっちゃん、ちょっと確認、客席来て!」
と、リハーサル中に演出家の判断を仰ぐ様になっていました。

 その楽しかったこと楽しかったこと。

 次の日の本番の様子は皆さんもご承知の通りです。あ、見逃した方今からでも大丈夫です。ユニット「あんてな」のYouTubeチャンネルにアーカイブが残ってますので。

「あんてな」Youtubeチャンネルはこちら

 結果的に本当に本田のラストステージとなってしまったこの舞台は色んな意味で正に奇跡の舞台です。この現場に立ち会えた事はペテカンメンバーに心苦しく思うところもありますが、それでもペテカンを代表して本田を支える事ができた事が僕の誇りであり責任でありご褒美だったのかもしれません。


 舞台の神様に愛された彼が戻るべき場所に戻った時、本当にこのまま奇跡は続くものだと信じていました。
 次の企画も話し合いました。去年コロナで出来なかった『ピアニッシモ』を
「あんたが東京に来れないなら俺らが宮崎に行ってやろう。」
「そうだ、ユニット「あんてな」との合同公演でやろう。」
「基本2人ひと組でのエピソードが繋がる作品だから、稽古も別々で出来るしね。」
「なんなら1組くらいペテカンとあんてなのミックスカップル作ってやろうよ。」
「いや、稽古はどうすんだよ。」
「なんとかなるだろ…。」

 こんな話でひとしきり盛り上がってから東京へ帰ってきました。それが本田と直接会って話した最後でした。(勿論満面の笑顔で)
 その後もリモート劇団会議や直接のLINE電話などで顔を見ながら話す機会は沢山ありましたが、生身の本田に触れられたのはそれが最後でした。

 26年間本田と一緒に舞台をやれて幸せでした。そして、いつも本田のわがままを支えて下さった、スタッフの皆様、関係者の皆様、通し稽古と同じ時間かかるダメ出しに耐えて下さった共演者の皆様、そして最後まで本田誠人を応援して下さった全ての皆様に本当に感謝致します。ありがとうございました。

 本田誠人の人生劇場第一幕は幕を閉じましたが、これだけ舞台を愛して舞台に愛された(どこかで聞いたセリフ)人です、きっと今頃僕らの知らないどこか遠くで本田誠人劇場第二幕が幕を開けているに違いありません。

 そしてそう遠くなく開かれるであろう「本田誠人のお別れ会」

 タイトル
 『一日一笑、本田誠人と共に合笑』
 ~手と手を合わせて笑い合おう~(仮題)

では、本田誠人の笑い話やら本田誠人劇場第二幕のストーリー予想なんかで盛り上がり、みんなの笑顔で花を咲かせたいものです。

 出来ましたら本田誠人の第二幕にも変わらぬご声援を頂けたら幸いです。(最高の笑顔で)

劇団ペテカン 主宰 濱田龍司




ペテカンを応援してくださっている皆さまへ。

脚本、演出、俳優の本田誠人より、
皆さまにご報告がございます。
2021年1月25日(月)

こちらからどうぞ


【退団のお知らせ】
昨年2020年を持ちまして、矢島緋名子が退団となりました。
このコロナ禍でお別れの機会も取れず残念ではありますが、今後の矢島も応援いただきますよう、よろしくお願いいたします。

劇団結成25周年である今年、新作公演も中止となり思いがけず立ち止まる時間を得た今、
劇団として一度過去を振り返ることを思い立ちました。
自分たちの創った言葉たちを改めて噛みしめ、舞台ではない場所で表現してみよう。
アットランダムに選んだそれぞれのセリフが、作品の枠を超え『ただの言葉』として、どう表現できるだろうか。
先入観をなくすため作品名も出さず、ただ言葉の表現にのみ挑戦する。
『笑って笑ってときどき泣いて』。
そんな舞台を創り続けてきた私たちの「今」が、観てくれる方々の力に少しでもなれますように。

 

WHAT’S PETEKAN

1995年に主宰 濱田 龍司、脚本・演出 本田 誠人を中心に、舞台芸術学院の同期、男5人で旗揚げ。その後、女優3人を加えた8人での活動を繰り広げる。1999年にパルテノン多摩小劇場フェスティバルで最優秀賞を獲得。ロックバンドとコラボした作品や、ライブカメラマン、三浦麻旅子が撮りおろした写真をセットに映し出してのお芝居作りと、純粋な演劇のみならず多ジャンルとのコラボ作品にも定評がある。
2015年より始まった、福島は猪苗代湖で行われる『オハラ☆ブレイク』に蒼々たるアーティストと共に出演。ミュージシャン、竹原ピストルとのジャンルを超えての対バン(2015年)。伊坂幸太郎が書き下ろした『三人の男が猪苗代湖で会う話—スパイ・恋愛・エスケイプ–』(2016年)を上演。ミックスカルチャーフェスティバルの中で異色の光を放つ。
また、ラサール石井、春風亭昇太、声優の田中真弓らをゲストに迎えての本公演が近年、好評を博す。その一方、笑いに特化したコント公演『諸々そこんところ』シリーズが話題を呼ぶ。


脚本・演出、本田誠人の描く劇世界は、どこにでもありそうな日常風景でありながらも、間や空気感を重視している。その独特な演出スタイルと、人間同士の温度や熱を丁寧に描く脚本で近年、注目を浴び、2017年2月に公開となった映画『スプリング、ハズ、カム』で映画脚本デビューを果たす。同年10月にはこの作品をペテカンで舞台化することも話題になっている。


2017年からは新メンバーが加入し、新たな一歩を踏み出すペテカンは「ゆっくり突っ走る」というキャッチフレーズに相応しく、自分たちのスタンスで歩んでいる。