本田誠人のこと
この度は奥様の泉ちゃん、子供たち、ご遺族の皆さま、心よりお悔やみ申し上げます。
亡くなる5日前の1月25日に自身のブログで、すい臓がんであった事、余命を宣告された事を公表し、「一日一笑」を目標に掲げ新たな人生をスタートした矢先です。
ブログを見て頂いた多くの方から、励ましやお見舞い、心配の声など沢山お寄せ頂いたと本田が嬉しそうに、恥ずかしそうに、申し訳なさそうに話していました。
亡くなる2日前には僕と2人で、途中から奥さんの泉ちゃんと3人で3時間くらいテレビ電話で長電話をしてました。この先の近い将来の小さな夢を沢山語り合っていました。とっても元気で顔色も良く希望に満ちた表情でそんなにすぐに容体が悪化するなんて思ってもいませんでした。
ですので、この様なご報告をペテカンからしなければならないのは本当に残念で仕方がありません。
2020年12月13日に上演そして全国に配信された舞台『あんてな文化祭』僕も出演させて頂きましたが、実は本番の前日まで本田は入院していました。本人の前では口には出しませんでしたが、もしかしたらこれが本田のラストステージになるかも知れないと僕の中では覚悟をして何としてもこの舞台に本田を立たせてやるんだという思いで必死に(勿論笑顔を絶やさない様に)彼のいない現場を守ろうと、泉ちゃんを中心に「あんてな」のみんなと力を合わせて稽古に臨んでました。コロナの影響でそこに他のペテカンメンバーを呼べなかったのは 今となっては悔やまれますが、僕1人でもペテカンの責任のもと本田を守るんだと意気込んで(勿論笑顔を忘れずに)いました。
本番前日、つまり退院当日、劇場入りして仕込み及びリハーサルの日です。本田不在でのリハーサルを覚悟していた僕は、とにかく本田に楽屋で寝てなさいと、本番は明日なんだからこっちは任せて徐々に体をならせていく様にと言っていた(勿論笑顔で)のに、劇場に入るや否や人の心配もよそに、正に水を得た魚とはこう言うことだと言わんばかりに、喜びハシャギ、ボケ始めました。(勿論笑顔でツッコミました)
本田は僕に言いました。
「すげーよ、ハマ。劇場って、パワースポットだよ!」と。
いつしか休んでる様にと言ってた僕の方が本田に
「まこっちゃん、ちょっと確認、客席来て!」
と、リハーサル中に演出家の判断を仰ぐ様になっていました。
その楽しかったこと楽しかったこと。
次の日の本番の様子は皆さんもご承知の通りです。あ、見逃した方今からでも大丈夫です。ユニット「あんてな」のYouTubeチャンネルにアーカイブが残ってますので。
「あんてな」Youtubeチャンネルはこちら
結果的に本当に本田のラストステージとなってしまったこの舞台は色んな意味で正に奇跡の舞台です。この現場に立ち会えた事はペテカンメンバーに心苦しく思うところもありますが、それでもペテカンを代表して本田を支える事ができた事が僕の誇りであり責任でありご褒美だったのかもしれません。
舞台の神様に愛された彼が戻るべき場所に戻った時、本当にこのまま奇跡は続くものだと信じていました。
次の企画も話し合いました。去年コロナで出来なかった『ピアニッシモ』を
「あんたが東京に来れないなら俺らが宮崎に行ってやろう。」
「そうだ、ユニット「あんてな」との合同公演でやろう。」
「基本2人ひと組でのエピソードが繋がる作品だから、稽古も別々で出来るしね。」
「なんなら1組くらいペテカンとあんてなのミックスカップル作ってやろうよ。」
「いや、稽古はどうすんだよ。」
「なんとかなるだろ…。」
こんな話でひとしきり盛り上がってから東京へ帰ってきました。それが本田と直接会って話した最後でした。(勿論満面の笑顔で)
その後もリモート劇団会議や直接のLINE電話などで顔を見ながら話す機会は沢山ありましたが、生身の本田に触れられたのはそれが最後でした。
26年間本田と一緒に舞台をやれて幸せでした。そして、いつも本田のわがままを支えて下さった、スタッフの皆様、関係者の皆様、通し稽古と同じ時間かかるダメ出しに耐えて下さった共演者の皆様、そして最後まで本田誠人を応援して下さった全ての皆様に本当に感謝致します。ありがとうございました。
本田誠人の人生劇場第一幕は幕を閉じましたが、これだけ舞台を愛して舞台に愛された(どこかで聞いたセリフ)人です、きっと今頃僕らの知らないどこか遠くで本田誠人劇場第二幕が幕を開けているに違いありません。
そしてそう遠くなく開かれるであろう「本田誠人のお別れ会」
タイトル
『一日一笑、本田誠人と共に合笑』
~手と手を合わせて笑い合おう~(仮題)
では、本田誠人の笑い話やら本田誠人劇場第二幕のストーリー予想なんかで盛り上がり、みんなの笑顔で花を咲かせたいものです。
出来ましたら本田誠人の第二幕にも変わらぬご声援を頂けたら幸いです。(最高の笑顔で)
劇団ペテカン 主宰 濱田龍司
2021年1月25日(月)、ブログの形で皆さまへご報告した本田誠人の現状、
劇団員には事前に報告がありました。
その報告受けて、メンバーから本田への想いを、ここにまとめます。
本田誠人からのご報告はこちらをご覧ください本田誠人の「余った命、一日一笑」
「あんたが宣告されたんなら、
オレは告白するよ」
濱田龍司
本田のブログを読み終えてすぐに彼に送ったLINEが、
「なんだかな〜、まこっちゃん、あんたカッコいいよ!まだまだあんたと、一緒にやっていくかんな!」でした。
少し時間をおいてから振り返ってみると、我ながら恥ずかしい文章ですね。
・「なんだかな〜」で阿藤快さんバリの導入をする事により照れ隠ししている所。
・「カッコいいよ」と身内の人間に言っちゃってる自分。
・「いくからな!」じゃなくて「いくかんな!」で柔らかさ(幼さ、無邪気さ)を表現しようとしたであろう自分。
・何より平仮名ばかりでバカっぽい。
と、そんなつもりで送ったわけではないのだけれど、冷静になって自分を分析すると恥ずかしくなります。
そう言えば、4年前に本田から癌が見つかったと言う事を電話で初めて告げられた時、電話の切り際になんて声をかければ良いかと言葉に詰まった僕が最終的に発した言葉が、
「お大事に…。」
風邪か!
お年寄りが掛かりつけのお医者さんからかけてもらう日常の挨拶か!
語彙力の無い自分を恥じました。
恥ずかしついでに告白します。
僕は本田誠人が大好きです。
はい、恥ずかしい、めちゃくちゃ恥ずかしい。おじさんがおじさんに向かって何を言っているんだと。と、照れ隠しみたいな事(隠せて無いけど)を書くくらいなら告白しなきゃいいじゃん、カッコ悪い。と自分でも思います。
そうです、カッコ悪いんです。今まで主宰と言う立場を理由に、カッコよくとは思ってないものの、キチンとしなきゃ、お堅くいなきゃ、真面目でいなきゃ、難しい事考えてる風でいなきゃ(いや、実際考える時もあるんですよ)と、体裁を気にしている所もあったのですよ、なにせ根は小心者なんで。でも、本田の包み隠さないブログを読んで、オレもこれからは包み隠さずカッコ悪くても本音で自分を表現していきたいと言う想いになりました。
とは言え、取り立てて何も変わりません。取り乱しません、騒ぎ立てません、今までと同じく一人でも多くの皆さんが楽しんでくれるような作品を表現を、本田とペテカンのみんなと作り続けて行きます。
そんな事を想わせてくれた、本田誠人の「余った命、一日一笑」でした。
これからも本田誠人を含めたペテカンにそして、ユニット「あんてな」に変わらぬ応援を頂けたら幸いです。
って、やっぱり最後はお堅い挨拶になっちゃったよ!
じゃぁ、まったねぇ〜♪
「本田さんの話しを聞く直前にぎっくり首になったが、んな事よりも衝撃的だった」
谷部聖子
いやちょっともう、人生で初めて経験する感情って、これだ。
心が押し潰された。
本田さんが?嘘でしょ?と何度も思った。
こんな気持ちになるくらいなら出会わなければ良かったのか?とも思った。
「もう恋なんてしないなんて〜言わないよ絶対〜」的な気分って、こうゆう事なのか?と、PVの槇原敬之の顔が浮かんだりした。
槇原敬之と一緒に、本田さんとの色んな事たくさんたくさん思い出した。
こんなにも、自分の人生を豊かにしてくれて、彩りを与えてくれた人。
やべは凄い人と出逢ったなー!
本田さんといると基本笑いすぎて、疲れる。
そんな人いなくない?笑
高校生じゃあるまいし。
「今、思うこと。」
添野 豪
本田さんはね、僕にとって
ずーーーーっと家族なんですよ。
同じ劇団ですけどね、それ以上に
濃い時間をたくさん過ごした家族なんです。
(本田さんとお泊まりたくさんしたねぇ笑)
本田さんの家族、友人、友人の家族とも仲良し!
僕の今は、本田さんつながりな人がたくさんいるの。
だからね、家族だからね
余命って、聞いたら、そりゃあ
すぐにでも会いに行きたいって思ったよね真っ先に!
でも、コロナで難しい、、、
コロナが心底憎いよ!!
なぜ今コロナっ!!!
それから「余命」って何!?
だったら、みんな寿命あるから
みんな「余命」だよっ!!!
といろんなモヤモヤした
気持ちと、普段どーり
生活しよう!!!
って思ったり、、
何を書いているのか、よく分からなくなっちゃってきてるなー
★大切な人に死んで欲しくない!
ただそれだけかなぁ。
言葉に、すると安いから
言葉にしたくないねーー